くの王朝が中華の大地に生まれ、滅亡した中国の歴史で破壊と略奪を常套とした王朝の交代時に、
民族の遺産が旧司権者によって私的に焼棄、または兵火略奪に会うこともなく、皇土皇民と共に次代の司権者に
委譲されたことは、中華の歴史の奇跡であり、特異性でもある。こうした崇高な国財の委譲を可能にしたのは、
言うまでもなく中国伝統の国権委譲の通念に他ならない。
つまり歴代の王朝によって継承されてきた民族の遺産を後世に伝える事は、
天命によって国権を与えられた司権者の取るべき王道であり、崇高な使命でもあった。
今日に見る國立故宮博物院の文物は、こうした国権委譲の通念によって継承されてきたもので、 日中戦争においてもその精神は中華民国政府によって踏襲されていた。 つまり中華民国政府は満州事変に始まる日中戦争から民族の遺産を死守するために、 言語に絶する輸送の困難を克服して、それらの文物を中国各地(北京・上海・南京・重慶)に疎開させたのである。
日中戦争で多くの将兵と輸送力が必要な時、単なる”骨董品”の輸送のために中華民国政府が実施した 空前絶後の疎開作戦は、「民族の遺産の継承は国権の継承を意味する」という中華の人々の歴史的な大儀名分によって遂行されたものである。
言い換えれば、清朝が滅亡して「天」から中華の正統を継承した中華民国は、 清朝から継承した”伝国の玉璽”とも言うべき民族の遺産をいかなる犠牲を払っても守り抜かなければならない”責務”があったのである。
日中戦争から守り抜いた民族の遺産は、1949年に中華民国政府の台湾への撤退の政策決定に基づいて 中国大陸から台湾に運び出され、1965年に台北近郊の外双渓の地に現在の前身とも言える博物院が完成して、今日に至っている。
國立故宮博物院は、パリのルーブル、レニングラードのエルミタージュ、ニューヨークのメトロポリタンと共に世界四大博物館の一つに数えられている。 その所蔵品は他国の博物館とは異なり、中華文化のみの文物を展示した異色な博物館として、他国の博物館を圧倒する所蔵品と規模を誇っている。
